『鳥越隧道』
撮影日時:2007年10月29日
所在地(走行範囲):三重県熊野市飛鳥町
前回、間違って尾鷲側から突っ込んでガレだらけの道路を引き返してきたり、
もう一度戻ってから辿り着いた夜中の姿に恐れをなして引き上げたり、
合同で突入予定だったのに、出発するときにタイヤがパンクしてたりとか、
とにかく行こうと思ったらトラブルやら天候不調で行けなかったリベンジですが、
ようやく突入取材を終える事ができました。
いやー、しかし遠い場所だ。
ちなみに、色々ありまして現場近くの道の駅に着いたのが明け方の4時頃でして、
仕方ないので空が明るくなるまで、ボケーっとしてました。
隧道内突入は後回しにするとして、まず地図に載ってない道のルート調査から行いました。
下調べとしてオンライン地図とか電子地図を参考にしましたが、どれも載ってないんですよ(^^;
そこで、実際に走行して、電子地図とGPSを利用して記録することにしました。
今回利用したのは、知人から貰ったアイオーデータ製のGPSモジュール“USB-GPS”と、
昭文社の“スーパーマップルデジタルVer8 書店DVD関西版”です。
電子地図は、ゼツリンの“電子地図帳Zi9全国DVD版”は以前購入してたのですが、
貰ったGPSモジュールがそのままでは繋がらないのと、
山間部の詳細地図がどの程度掲載されているか知りたかったので、あえて追加購入しました。
というわけで、入れて使ってみた感想としては、詳細地図が道活動家向けだなぁと。
ただ、ゼツリンのはベクトル地図なので、移動させた時の表示に読込み待ちが無いのが非常に良いんですけどね。
それはさておき、実際にGPSで記録取りながら走行してみたのが下図です。
どの電子地図(オフライン・オンライン共)でも鳥越隧道から先は載ってないんですが、
少々見辛いですが、この記録により道路が繋がってる事が解ります。
これから先、この地図にマークしているポイント順に写真を掲載していきます。
まず一つ目の折り返しポイントですが、
工事中のため、バリケードが設置されています。
横を見るとこのような表示がされています。
開通したらもう一度訪れてみたいなーとか思ったり。
一つ目のポイントに辿り着く直前、こんな盛り土の場所があります。
地図を見た限りでは、盛り土の場所が元々の道路なんじゃないかと想像できます。
夜が明けて間が無いので、空を見上げると月が見えたり。
続いては、ポイント2からポイント4の間です。
形からも、山を切り開いたようです。
そして、ポイント2の分岐点です。
地図に載っている元々の線形と違いますけど、ほぼT字型みたいな感じです。
ポイント2の分岐点を右に曲がった方です。
この先については後ほど。
こちらは、引き返してポイント3から谷の方を向かって撮影したものです。とにかく凄い傾斜。
とはいえ、明らかに盛り土したような感じなので、この辺りの山を切り開いた時の土で作られているのかも。
先の撮影ポイントを振り返った様子。
ちょうど、台地になっているのですが、そこの入口側になります。
次はポイント4から撮影したものです。
元々の道があったと思われる場所なのですが、実際はどうなのか不明。
こちらもポイント4で撮影したものですが、このまま下った先に鳥越隧道があります。
そんなこんなで、まとまりに欠けますが、いきなり纏め(ぉ
GPSで実際に走行した記録を元に、想像で路線を書いてみました。
赤線で示している部分が地図になかった部分です。
まぁ、この辺りの路線が地図に載らないのは、この辺りが林道であって、
一般の通行を目的とした道路じゃないからなんでしょうね。
今回、工事で通行止めだった区間もあるので、来年の春辺り、
もういちど周辺の道路を走行してみたいと思います。
んなわけで、良い具合に日が上がってきたので、ぼちぼち移動します。
誰か居ますが、敢えてノーコメント(ぉ
実は、この降りた所も部分的にぬれてます。
真正面から狙ってパチリ。
水溜りがあちこちに(^^;
この前日、雨が降ったこともあって、隧道右側に滝みたいなのが出来てます。
ご覧のように、現道は少し高い場所に造成されています。
では突入!という事で、内部に入ってみました。
この通り、あちこち崩れてる訳ですが、特に右側が酷い状態です。
見上げると、素彫り剥き出し状態が続きます。
何時ごろまで車両の通行があったかはわかりませんが、
現役当時は車両の往来があった事を示すような状態です。
まだ入口から入って少しの所なのですが、このように落盤したような跡があって、
あんまり良い気はしません。
内部で一番深いと思われる水溜り部分です。しかも結構広いし。
とは言うものの、長靴で足首くらいの深さなので、大体10cm程度といった具合です。
中央部分へと進むにしたがって、だんだん落盤したような形跡も少なくなっていきます。
写真では解り辛いのですが、隧道中央くらいの地点には幅が広げられています。
おそらく離合のためでしょうね。
しかも、この辺りが頂点になるのか、今まで光らしきものが見えなかったのに、
尾鷲側から朝日が差し込んできました。
中央付近はガレが少なくて非常に歩きやすいです。
下っていくような感覚で進んでいくと、右側の岩の間から水が湧き出ています。
尾鷲側の出口へと近付くにつれ路面には砂利が現れ始め、壁面の至る所から水が湧き出てきました。
こちらの方は特に解り辛いのですが、下へと噴出すかのような状態で水が出ています。
こちらも噴水状態。
何故か中途半端にコンクリ巻きみたいな状態に。
いよいよ尾鷲側へと出ようとしています。
水溜り、苔、木の状態とか、なんとなく気に入ってる写真の一つです。
良く見ると、微妙に左へ曲がっているようにも見えます。
尾鷲側から一枚撮ってみました。
ピンボケだった事に後から気付いて残念(^^;
左側はこのようにガケみたいになってます。
そして右側に道が続く訳ですが、縁石みたいなのが並べられていて、
当時は良い感じの道になっていた事が伺えます。
ただし、今現在は大きな石がゴロゴロ転がっていて、よっぽど特化した車両じゃないと走行出来ないでしょう。
草木に隠れていますが、尾鷲側の扁額です。
出来れば先に進みたかったのですが、相方を待たせているので戻る事にします。
妙に四角く切り取られている箇所があったのでとってみました。右側です。
続いて左側。
何気なく撮りましたが、特に何も無かったりするのかも。
日の光を背に受けているので、帰りは思ったよりも明るかったりします。
とはいえ、ライトが無いと困るのですが(^^;
行きとは違い、結構早い段階で熊野側からの光が見えてきました。
中央を過ぎて、大分熊野側に寄った所です。
戻ってきて思うのは、やはり熊野側の落盤が多いようです。
最後の大きな水溜りです。
隧道内部はフラッシュの光ではっきり見えますが、外側の景色はブレまくってます(w
そしてアーチの両サイドに文字が彫られていたので撮影してみました。
右側には、おそらく『施工 昭和八年5月 竣工 昭和九年六月』と書かれていると思われます。
逆に左側はというと、『請負人 津市 平田組』と書かれているようです。
しかし、こっちは右側と違い、左からの読みになっています。
この違いは何なんだろうか気になる所ですが、調べるとなると役所かな?
現道にはナニかを持った人影がっ!!(ぉ
…曰く、隧道から出てくる所を動画撮影してたそうな。
というわけで、鳥越隧道に別れを告げます(?)
他に気になるところはあった物の、隧道内部の実地調査としては完了なので、
もう一度通行するとすれば、尾鷲側の道路がどこまで続いているかの歩行調査になる事でしょう。
そんなこんなで、突入前に走行した、先の分岐点から右側へと進んでみました。
どこかに辿りつくならそれでよしと思ってましたが、暫く進んだ所でバリケード出現(^^;
強制撤去出来るものの、そこまでしてトラブル起こしても仕方ないので引き返す事に。
そんな引き返しポイントでの風景。
すごい激坂です。転落してしまったら、死んでボロ雑巾みたいに転がるんだろうなぁ(^^;;;;;
引き返しポイントでもう一枚。
山々を照らす朝日が素晴らしい風景です。自然多すぎてスケールがデカいのなんの。
この縮小した写真ではわかりませんが、遠くに海らしきものが見えます。
……
というわけで、編集した今になってみると、掲載した写真の量は山盛りでも、
案外ほかの細かい調査が抜けてたりとか、纏まりに欠けてたりしてる事に気付いたり(^^;
通行止めとかあったので、また年越して良い頃合に再度訪れてみたいと思います。
本当なら歴史などの学術面での調査もやっていると良かったのですが、それはまた気が向いた時にでも。
最後になりますが、写真見て興味持たれた方へひとこと。
雨が降った後とかですと、入口付近は染み出た水がポタポタと落ちてくるので、雨合羽があると良いでしょう。
あと、手もちのライトは写真撮りにくいのでお勧めできません。
というか、いつ落盤するか解らんので、ヘルメット被った方が良いです。
間違っても、トト■みたいに傘差して通行するのはやめましょう(爆)
一番良いのは、入らない事ですけどね。
打ち所悪くて死んでしまって、偶然死体見つけてしまうのも嫌ですし(^^;
今回のおまけ。
終わってから、なんとなく日本橋へ行く途中に渋滞にハマって撮った一枚。
言わずと知れた新世界のシンボル、通天閣です。
近い所にあると写真撮ることなんてあんまり無いんですよね…(^^;
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